大判例

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東京高等裁判所 昭和61年(う)675号 判決

主文

原判決中、被告人甲に関する部分を破棄する。

被告人甲を懲役一年六月に処する。

被告人甲に対し、この裁判の確定した日から三年間右刑の執行を猶予する。

被告人甲から金四〇万円を追徴する。

被告人甲に対し、原審における訴訟費用を被告人乙と連帯して負担させる。

被告人乙の本件控訴を棄却する。

理由

第一理由そごの主張について

所論は、要するに、原判決がその事実認定の有力な証拠としている原審第七回公判調書中の証人Aの供述部分を証拠の標目に掲示しないことは明らかに理由そごであり、また、被告人乙の検察官に対する昭和五七年六月二七日(四丁綴のもの)及び同年六月二八日付(二)の各供述調書の任意性と信憑力につき全く触れておらず、かつ、右二通を殊更に証拠の標目から除外しているのは、原判決が被告人乙のその他の検面調書についてはその任意性と信用性ありとしてるる説明していることと矛盾し、理由相互間の食い違いと認めざるをえず、原判決には、刑訴法三七八条四号の理由そごの違法があるというのである。しかしながら、所論指摘のAの証言は、被告人らの弁解を否定し被告人らから本件賄賂金員の返還を依頼されてこれを受領したことはない旨を述べるものであつて、被告人らの本件賄賂収受の事実を認定するのに必要な証拠ではなく、また、被告人の供述調書の任意性や信用性を肯定または否定した理由は判決理由中においてこれを示す必要はないのであるから、所論のいうような理由によつて原判決に理由のそごがあるとはいえない。論旨は理由がない。

第二事実誤認の主張について

一被告人乙の職務権限

所論は、要するに、原判決が認定する被告人乙の建築基準法の規定による建築確認審査及び確認通知等の「建築事務」は、法律上、同被告人の上司である建築主事の被告人甲の専決事項とされていたものであるから、被告人乙が土木事務所内で事実上建築事務につき担当技師などから相談を受けたことはあつたとしても、原判決のように建築事務を担当していた者とはいい得ず、原判決の右認定は明らかに判決に影響を及ぼす事実誤認であるというのである。しかしながら、本件当時、被告人乙が、竜ケ崎土木事務所において事務分掌上も、また、実際にも、建築確認審査及び確認通知事務を担当していたことは証拠上明らかであり、しかも、職罪の成立に必要な職務は、上司の職務行為を補助する場合をも含むのであるから、同被告人が原判示の職務を担当していたと認めるのになんら妨げはなく、原判決に所論のような事実誤認はない。論旨は理由がない。

二賄賂の収受

所論は、要するに、被告人らが原判示「魚元本店」において原判示B、Cの両名から受け取つた現金入りと思われる封筒は、被告人らに賄賂収受の意思がなく、上司の鴨志田芳所長を通じて提供者に返還しており、被告人らは現金を収受していないのに、原判決が被告人らが右小野らから現金一〇〇万円の供与を受け、職務に関し賄賂を収受した旨認定したのは、事実を誤認したものである、というのである。

しかしながら、原判決が挙示する証拠(被告人乙の検察官に対する供述調書の任意性などを争う主張については後記第三において判断するとおりその理由がない)を総合すれば、原判決が被告人らの現金一〇〇万円の賄賂収受を認定したことは正当として支持することができ、原判決に所論のような事実誤認はない。

所論に鑑み、以下、若干説明を加える。

(一)  本件において被告人らの共謀による賄賂収受は、前記「魚元本店」において提供された現金入り封筒を受領して帰途についたときに成立したものというべきであり、したがつて、仮にその後翌日になつて所論のように上司の所長に返還を依頼してこれを手渡したとしても、このような事実は、これがいわゆる情状に係わることは格別、これによつてすでに完了している賄賂の収受の成立を左右し得るものではない。すなわち、本件賄賂金員の「魚元本店」における提供者である前記B、Cの両名は原審公判廷においてその提供ないし受領の状況を具体的かつ詳細に述べ、その内容に不自然なところはなく、かつ、基本的に一致しており、また、とくにCは本件の金員提供が被告人らに対する贈賄に当たることを自認し有罪判決を受けている者であることをも考え合わせると、反対尋問によつてもなんら動揺していない同人らの原審証言は、本件贈賄の動機である原判示確認申請とその後の経緯について述べるところを含めて十分措信するに足りるものであり、これらの証言によれば、「魚元本店」二階の個室にB、Cと被告人両名が落ち合い、被告人らはCらから酒食の供応を受け、ともども歓談するとともに、確認申請の年内処理を懇請された後、被告人甲はすぐ近くに寄つてきたCから現金一〇〇万円が在中し封がされないまま二つ折りにされた封筒を「社長からこれを渡して欲しいと頼まれてきました、少ないですが分けてください」などの口添えとともに差し出されると、なんらその封筒の中身を確かめることをせず、また、辞退しようともせず、頭を下げながらいとも自然にこれを受領し、そのころ前後してこれとは別に被告人らめいめいに贈られた手土産の菓子包み二個が入つた紙製手提げ袋をも受け取り、すぐ傍らにいて以上のやりとりを知悉していた被告人乙とともにまもなく同店を退去して帰途についた事実を優に認めることができるのであつて、このような事実関係のもとでは、遅くとも右帰途についた時点において被告人ら両名の共謀による賄賂の収受が成立したとしなければならない。被告人らは原審および当審各公判を通じ、ともに「魚元本店」では提供された物につき賄賂性の認識はなかつた旨争い、被告人甲は、本件封筒の存在にはつきり気付いたのは帰途の国電車中で被告人乙が菓子包みの入つた紙袋を網棚に上げるときに同人から「課長何か変なものが入つていますよ」といわれたときである、と弁解し、また、被告人乙は、同じ国電車中で、被告人甲から「乙ちやん、これもらつちやつた。」と同人の上着の内ポケット内に封筒のあることを告げられて初めてそれを渡されていたことを知つたと述べ、しかも、互いに、相被告人の弁解は事実と異なる旨いうのであるが、被告人両名の右各供述は特異な体験事実として述べるものであるだけに、その間に右のような両立し得ない大きな食い違いのあること自体きわめて不自然、不合理であるうえに、前叙の本件封筒入り現金提供とその受領の際の状況に照らし、そのいずれをも到底措信することができず、前叙の認定を左右し得ないから、賄賂性の認識がなかつた旨の被告人らの右弁解を排斥した原判決の判断は正当というべきである。

(二) 所論は、また、本件封筒入り現金はA所長から賄賂の提供者へ返還されているとする被告人らの主張を排斥した原判決の理由説明中の判断を争い、これを種々論難するが、本件においては、後記第四のように、賄賂金員が被告人らから本件の翌日A所長の許に一旦差し出されたかも知れない疑いは否定し得ないものの、同所長がその返還を約してこれを被告人らから預かつたうえ提供者側にその返還を実行したと窺うに足りる証拠はなんら存在しないから、右主張を排斥した原判決の判断は相当であるとともに、被告人らが、仮に「魚元本店」からの帰途、収受金員を返還しようという気持ちを抱くに至り、翌日上司のA所長の許に収受金員の返還を依頼してこれを預けたとしても、翌日のこの所為は、既に収受した賄賂の事後処分にとどまるにすぎないもので、前日の賄賂収受罪の成否をなんら左右するものではないこと前叙のとおりである。

被告人ら両名の本件賄賂の収受につき、原判決には事実の誤認はなく、論旨は理由がない。

第三訴訟手続の法令違反の主張について

所論は、要するに、一 原判決が有罪認定の証拠として掲記している被告人乙の検察官に対する各供述調書は、検察官がこれらの証拠調請求をするに際し、刑訴法三二二条一項、三二一条一項二号の要件をなんら具体的に明らかにせず証拠調請求の適法性を欠いていたのに、原審裁判所がこれを看過している点においてこれが判決に影響を及ぼすことは明らかであり、二 被告人乙は、昭和五七年六月二〇日、八千代警察署取調室内で千葉県警本部二課の橋本和男警部、高橋巡査部長のうちの一人から、鼻の中に指をいれてかきむしるようにして、この野郎何で自白しないんだ、と脅迫、拷問を受け、この暴行を契機として上申書を書かされ、ともかく金を受け取つたことを自白させられたもので、被告人乙の司法警察員に対する自白供述はその任意性について強い疑いがあり、よつて、原判決が証拠に掲記する被告人乙の検察官に対する供述調書も証拠能力を欠くものであるのに、原判決がこれを本件有罪認定の証拠としたのは、刑訴法三二二条一項、三一九条に違反するというものである。

しかしながら、一については、記録を検討してみると、被告人乙は原審公判廷における同人に対する被告人質問において、本件の主要な点について検察官に対する供述調書の内容と実質的に異なる供述をしており、かつ、その供述内容には当然記憶に残つているべき性質の事柄についてまで「忘れた」を連発するなど随所に不自然で不明確な部分があつて、これらによれば、同被告人の検察官に対する供述調書が刑訴法三二二条一項、三二一条一項二号の書面に該当することは容易に認め得るところ、検察官は所論の検察官調書につき、これらの点を書面により具体的、詳細に指摘のうえ右各法条該当書面としてその取調請求をしており、原審はこれにもとづいてその証拠能力を肯定したものであることが記録上明らかであるから、原審のこの手続と判断には所論のような違法はなく、二については、被告人乙に対する司法警察員の取り調べの過程には、ときに捜査官が同被告人の鼻に触れるというような穏当を欠く場合もあつたことを必ずしも否定しきれないものがあるが、捜査時の取調状況についての被告人乙の公判供述と、原審証人岡田武美、同橋本和男、同江波戸良明の各供述とを対比検討し、かつ、これを同被告人の検察官に対する供述調書の記載内容に照らしてみると、同被告人の昭和五七年六月二六日以降の数回にわたる検察官の取り調べにおける供述は、一部不明な点や自己のため弁解となることをそれとして留保し、また、他の関係者の言い分につき否定するものは否定しながら本件の賄賂の収受やその際にその賄賂性の認識があつたことなど本件の事実関係をきわめて具体的、詳細に供述しており、しかも、反省を伴つた真しなものであつて、その供述が、それに先立つ一週間ほど前の司法警察員の不当な取り調べの影響によりその任意性に疑いを抱かねばならないようなものであつたことは認められないばかりでなく、そもそも本件においては、被告人乙の検察官に対する供述調書を除いても原判決が掲げるその他の証拠によつて被告人両名の原判示収賄の事実は十分に認め得るところであるから、いずれにしても所論は採り得ない。なお、所論は、被告人乙の検察官調書の信用性を肯定して原判示事実を認定した原判決の判断についてもこれが誤りである旨主張するけれども、右のようにその証拠能力を肯認できる同被告人の検察官に対する供述調書記載の自白内容は、前記贈賄者らの供述する賄賂提供ないし受領の時の具体的状況と概ね符合しており、また、捜査時に行われた本件賄賂授受現場の検証に立ち会つた際の同被告人の指示説明がこれまた右と合致しており、これに、原判決が指摘し、かつ、前叙したように同被告人の原審公判における供述は不明確、不安定で、弁解に堕している感をぬぐえないことに徴すると、被告人乙の検察官に対する供述調書の信用性を肯定した原判決の判断は相当であり、この点の所論も採用の限りでない。

論旨は理由がない。

第四被告人甲に対する追徴について

原判決は、本件で収受した賄賂金員の被告人甲の分配額は金八〇万円であり、これを没収することができないので同金額を同被告人から追徴する旨判示、言い渡している。そこで、事実誤認の所論に鑑み、職権でこの点につき検討、判断を加えると、被告人らが原判示「魚元本店」において本件一〇〇万円を収受するに至つた事情として、贈賄者側は一〇〇万円というかなり多額の現金を事前に準備して本件宴席に臨んでいること、右金員の一部を被告人らの上司が取得することは贈賄者側の意思になんら反するものではなかつたと思われること、被告人らは、当初出席を予定していた上司の所長が他に出張するため、当日急拠同人の指示により同所長に代わつて予め同人が出席を約していた「魚元本店」に出向いたものと思われること、などは本件証拠上否定し去ることは困難であつて、もし、このような経緯で原判示の賄賂が収受されたのであれば、被告人らがこれを宴席に出席することを指示した所長に秘したままにしてしまうことはいかにも不自然の感を免れず、これに被告人乙が後日被告人甲から二〇万円を受け取つた旨自供していることをも考え合わせると、原審における証人Aの本件関与を一切否定する供述や原判決の理由説明の一での説示にもかかわらず、本件における被告人らの弁解のうち、受領の翌日被告人らが本件の現金入り封筒をA所長の許に持参したと述べるところは、その意図が事後の返還依頼なのか、収受金員の配分などを取り決めてもらうためかなど、いかなるものであつたかは別として、十分あり得たことと思われ、したがつて、本件の現金入り封筒は、少なくとも一旦は所長の手に渡つたのではないか、との疑問が強く存在する一方、同所長からこれが賄賂者側に返還された証左のまつたくない本件においては、被告人甲につき収受金員の分配取得額を被告人乙の自供する取得額二〇万円を控除した残額と認めることは相当ではない。そして、右のような事情のもとで、賄賂の収受者が、収受後、その情を知る者と収受金員を分配した場合には、収受者から没収すべき賄賂は、その分配後手中に残した金員であり、これが没収できないときはその額のみを追徴すべきものと解すべきであるから、右のように、情を知る上司との分配があつた疑いが否定できない反面、証拠上その額が不明である本件においては、収受金員は被告人甲と上司との間で等分したものと推定し、その限度で取得金額を被告人甲から追徴すべきものと解するのが相当であり、被告人乙からの追徴額金二〇万円を差し引いた残額の二分の一を被告人甲から追徴すべきところ、原判決が収受金員中被告人甲から同乙に渡されたとする金二〇万円を除きその残額すべてを被告人甲において分配額として取得したものと認定し、同金額を同被告人から追徴する旨判示しているところは、前述した本件金員収受後、被告人らと所長との間にその授受があつたとの疑問の存在を看過し、その結果、追徴すべき価額につき判断を誤つたものといわざるを得ず、この法令適用の誤りは被告人甲に対する判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、原判決中、被告人甲に関する部分はこの点において破棄を免れない。

よつて、刑訴法三八〇条、三九七条一項により、原判決中被告人甲に関する部分を破棄し、同法四〇〇条但し書により同被告人に対しさらに判決をすることとし、原判決の認定した被告人甲に対する罪となるべき事実にその挙示する法令を適用し、その所定刑期範囲内で同被告人を懲役一年六月に処し、この裁判が確定した日から三年間右刑の執行を猶予し、同被告人が原判示犯行により収受した賄賂は没収することができないので、刑法一九七条の五後段により被告人甲が賄賂金員中取得したと認められる価額である金四〇万円を同被告人から追徴し、同被告人に対し、原審における訴訟費用を刑訴法一八一条一項本文、一八二条により被告人乙と連帯して負担させることとし、被告人乙の本件控訴はその理由がないので同法三九六条によりこれを棄却することとして、主文のとおり判決をする。

(裁判長裁判官小野慶二 裁判官佐野昭一 裁判官安藤正博)

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